恋愛経験値よりも自立度

 かつては恥とされた「でき婚」は今や、一つのスタンダードとなり、「おめでた婚」などと肯定的な呼び名まで与えられ、どの結婚式場もマタニティー対応のウエディングドレスが常備されているという。この「でき婚」が市民権を得たきっかけは、妊娠中のある芸能人が、紅白歌合戦のトリで歌ったことだと言われている。また、人の道に反すると評価されていたはずの不倫も、男性芸能人の「不倫は文化」という発言をマスコミが取り上げることで大衆に伝わる。そして、大衆が支持した言葉は日本社会の価値観を形成し、やがて、その価値観は現実の性行動、恋愛、結婚、家庭形成となって表れてくるのだ。
 日本の中高生たちは、性についてはほとんどがマスコミを情報源としており、それに基づいて恋愛や結婚についての価値観を形成している。日本の恋愛・結婚・性についての価値観を変化させてきたのは、「マスコミの言葉」、「芸能人の生き様」と言える。テレビのバラエティー番組の中、芸能人たちが自信満々で、「いろんな人と婚前交渉し、一番、体の相性のいい人と結婚したらうまくいく」、と主張する。しかし、この発言を実行している芸能人たちが、その「一番体の相性のいい人」では満足できずに、浮気をし、結婚を破綻させているのだ。私たちがマスコミを指針とし、芸能人を模範とするなら、同じ結果に至る可能性が高くなることを意味している。芸能人の実名を挙げて著書『小さなツッコミ、大きなお世話! 恋愛、結婚、性、そして、いのち』(いのちのことば社)でそう主張しているのは、元牧師の水谷 潔氏である。聖書にある結婚の秩序を守らなかった場合、神の祝福を遠ざけるのだと、遠慮なく言っているのだ。水谷氏は、幸せな結婚の準備は、豊富な恋愛経験などではなく、父母を離れること、すなわち「自立」だという。創世記2章24節には、「父母を離れ、結び合い」とあるからである。自立とは、経済的な自活とは異なり、親からの精神的分離である。裏返せば、親への依存心や執着心(過度の反抗心なども)を捨てることなのだ。大切な決断のため祈ると、親の顔が浮かぶようではまだまだ自立していないことになるという。神さまを差し置いてまで、親の意向に沿うことを願わぬクリスチャンとなることである。主にあって自らが決断し、その結果については自分で責任を負い、親に解決、尻拭いを期待しない生き方が自立である。恋愛を重ねて楽しそうに見える人々をうらやましく思い、劣等感を覚える必要はありません。それよりも自立のための勉強や訓練、広い意味での学習、人格成長のための努力こそが、幸せな結婚への最短距離と言える。最後に勝つのは、恋愛を重ねてきた者たちではなく、自立度を高めて結婚に十分なまで成熟した者なのだ。
「伴侶選択の規制緩和を」
 伴侶選択は大切ですが、こだわるべき本質はそれほど多くないように思います。私は、結婚全体を左右するような決定的な要素は、三つ程度だと考えています。
 一つ目は「信仰」。末信者との結婚については多様な見解があるでしょうが、伴侶の信仰の有無が、その後の結婚生活を大きく決定づけることは、否足しがたい現実でしょう。
 二つ目は「自立度」。創世記2章24節では、「父母を離れ、妻と結び合い」と、結婚の前提として「親離れ」、すなわち「自立」を明示しています。特に親からの心理的自立度は、結婚生活に計り知れないほどの影響を及ぼします。
 三つ目は「誠実さ」。結婚後に自己変革や、自己成長の努力をする誠実な態度は、決定的要素です。とりわけ「釣った魚にエサをやらない」タイプの男性は、事前に見抜いてパス。むしろ、現時点での完成度は低くても、結婚後の「伸びしろ」が期待できる男性がお勧めです。
 「信仰」、「自立度」、「誠実さ」、この三点が相手と自分にあれば、失敗を恐れて結婚を躊躇する必要はないと思います。逆に言えば、「ルックス」、「学歴」、「収入」などは、あまりこだわらないのが賢明。「加点婚」を願いつつ、いわば「伴侶選択の規制緩和」を検討してみてはどうでしょう?
 そして、結婚後の歩みこそが大切なのだ。聖書全体は「だれと結婚するか」以上に、「結婚後にどう歩むか」に力点を置いている。一方、私たちは「だれと結婚するか」には興味津々なのに、「結婚後にどう歩むか」については意外に無関心なのではないか。「クリスチャン夫婦であれば、自動的に祝福される」、「夫婦間で努力をしなくても、それぞれが神さまにつながっていれば大丈夫」という間違った信仰理解の上に築いてきた結婚がある。このように、結婚後に聖書の言葉に従わないなら、祝福でスタートしたクリスチャン同士の結婚も減点婚になりかねない。しかし、結婚後に御言葉に従う努力を重ねていくとき、不思議なように弱さや不安要素などは克服されていくものなのだ。お互いの「のびしろ」にもっと期待しよう。キリストが教会を愛したように献身的に夫が妻を愛すること、教会がキリストに従うように、愛ゆえに妻が夫に従うことは、自己中心な罪人の私たちにとっては、かなりキツイことである。しかし、それは「豊かな実りを約束する労苦」なのだ。そして、その労苦を受け止めて築き上げた夫婦の絆は、何物にも代えがたい、人生の宝となるものである。
水谷 潔『小さなツッコミ、大きなお世話!恋愛、結婚、性、そして、いのち』(いのちのことば社)より


御翼2011年6月号その4より

 
  
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